5月13日に生まれ(Stevie Wonderの誕生日と同じ)、シカゴの郊外で育ったLil'Louis。Technics 1200's、ディスコ、ガラージ、ウエアハウス等が存在するずっと以前からLil' Louisは存在していた。
プロのリズム&ブルースのミュージシャンとして活動していた父の影響で楽器を始めるも、主にスポーツに興味を持っていた少年期。彼の母親 の企画し たパーティー(ギャング等が問題になりつつあったシカゴで、町のコミュニティーに平和を取り戻し、結束を強くする、という目的の)で雇われていた DJが体調をくずした為、いきなりDJをまかされる事になった当時12才のLouisは、暴れていた少年達をKool & The Gangの「Funky Stuff」をプレイした事によりメロウな雰囲気へと運んでいった瞬間、これが彼のやるべき事なんだと気付いたという。その後はシカゴ中のクラブでDJの 機会を求めたが、彼の強い個性と、『自分はジュークボックスではなく本当に信じる音楽だけをかけるべきなんだ』 という信念がクラブ側と衝突し、クビを言い渡される事も多かったが、次第に年上のDJ達をも魅了し、まだほんの少年だった彼にLil' Louisというニックネームがついたのもこの頃である。
以後、地元シカゴではDJとして増々ビッグになっていき、80年代半ばには自分でFutureというクラブをオープンさせようと試みる。そのクラ ブが様々な事情によりクローズされた後は、DJとしてだけでなく、プロデューサーとして音楽にアプローチすることを決心。当初はプロデュースと いっても既に存在する曲のエディットから始まったが、結果的にクラウドからは支持され、Louisのクラブでなければ聞けないLouisのエ ディットを聴きに、大勢の人々がおしかけたという(最も当時はOlsonのカセットデッキの録音ボタンと一時停止ボタンを押すことのみによって作 業をしていたそうだが)。
機材も増えたその後は、First Choise 「Let No Man Put Asunder」、TheO'Jays 「Bad Luck」、James Brown 「Body Heat」といった曲のニューミックスをプロデュースし、シカゴエリアのDJから絶大な支持を得る。 FrankieKnuckles、Ron Hardy、DJ Pierre、そしてLil' LouisといったシカゴのDJ/プロデューサーが手がけ、プレイした音楽がその後ハウスミュージックと呼ばれ、世界中で知られる様になったのもこの頃で ある。
彼が世界中で知名度を得たのはこの後、彼自身のレーベルを立ち上げた後である。 レーベルからの二枚目のシングルであった「French Kiss」はリリースされた途端アメリカでは[Epic]、それ以外のエリアで...
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