1981年にデビュー。
何十年にもわたり世界中のクラブやアリーナを鳴り響かせ、いま現在でもビルボードのトップチャートに君臨し続けているニューヨーカーである。
マライア・キャリー, ホイットニー・ヒューストン, マドンナ, ビヨンセ, ブリトニー・スピアーズ, リアーナ, メアリー・J・ブライジ, ジャネット・ジャクソン, ジェニファー・ロペスのようなアーティストがダンスフロアを熱狂させたい時には、トップランクのDJ, グラミー級のプロデューサーやリミキサーに、トニー・モランのサウンドを依頼するのだ。それは、最先端のエレクトロニカをエッセンスとした力強いトライバル・ハウス・アンセムなのである。
とはいえ、トニー・モランはDJブースやスタジオだけを領域とする人物ではない。熟練の域に達したシンガーソングライターでもあり、30年以上にもわたり独自に制作したCDやシングルをリリースしてきている。
彼の原動力の強さには、ブルックリンでの幼少期の環境が大きく影響しているであろう。彼は音楽という形で目の前に横たわる「創造性のるつぼ」を糧とし、またそれを自在にしてきたのである。
トニーが音楽を発見したのか、音楽がトニー見つけたのか…という難しい事はさておき、人々が 彼のDJに自然と引き寄せられ、さらにはライブで何百人もの集客があるようになっていた80年代前半、ついにニューヨークのラジオ曲ディレクターによってトニー・モランは発掘される事となったのである。
19歳にして既に地元で話題だったトニー・モランは、プロデューサーであるアルバート・カブレラとコラボレーションを打つという運命的な出逢いがあった。 ラテン・ラスカルズという2人組が、最新のビートとラテンのDNAを融合をさせる事により、爆発的なフリースタイルのダンスビートを生み出したのである。 それは、あの「Cover GirlsによるShow Me」という、ミリオンセールズ以上のスマッシュヒット作品を生む結果となった。
この成功は、ラテン・ラスカルズという魔法のタッチでフロアを湧かせていたRun DMCやLL Coolから、ビーチボーイズやダイアナロスに至るまでの様々なアーティストにおいて、制作やリミックスという分野の水門を大きく開くこととなったのである。また、リードボーカルがモランであるデュオも、全米のクラブやスタジアムでのライブでの公演に引っ張りだこになるほどの成功をおさめる事となったのである。
そして、トニー・モラン自身の芸術性をより高めるために、マイケル・ジャクソン、グロリア・エステファン、さらにはロンドン交響楽団に挙げられるような広範囲にわたるアーティストや楽団にも楽曲の提供やリミックス、また、アルバムのプロデュースなども手がけるようになっていった。もちろん、忘れてはならない、デボラ・コックス, ...
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