
1981年12月、大阪で結成。日本に確たるハードコアパンクシーンが形成される以前から、その中心的バンドとして活動。
轟音、粗暴、ノイジーなハードコアパンク界にあって、いち早くポップセンスを取り込み、その単純明快な楽曲は若者の絶大な支持を得た。
自分達でレーベル(レコード会社)『AAレコード』を設立し、そこから音源を発売。海外のパンクバンドでは定石となっていた手法ではあるが、当時の日本では珍しいものであった。
1985年4月28日、新宿スタジオアルタ前にて自分たちの作品が収められたソノシート(聖者が街にやってくる)を事前に無料配布告知したところファンおよそ1300人が集まり、全国ニュースでも取り上げられ話題となる。また、メジャーデビュー1か月前の10月26日、日比谷野外音楽堂でのライブで4000人を超えるファンを動員した。同年11月21日、VAPよりメジャーデビュー。
順調な活動を続けていたさなかの1987年4月19日 日比谷野外音楽堂でのライブ中、ステージに詰め掛けたファンが将棋倒しになり死傷者を出す事故が発生。バンドは責任を取る形で謹慎(当時アール・エフ・ラジオ日本で放送されていた出演番組も降板打ち切り)。しかし多くのファンの後押しにより活動を再開する。またこの時期に「VAP」から「東芝EMI(現在のEMIミュージック・ジャパン)」にレコード会社移籍。1989年、PON(Ba.)とNAOKI(Gu.)が脱退しCOBRAに参加、新メンバーにBELLEY(Gu.)とWANG-TANG(Ba.)が加入。
その後はCHARMYのステージ上での怪我、メンバーの不祥事、MARU(Dr.)の脱退等もあったが、サポートメンバーを加え全国ツアーを展開するなど活動していた。
1991年、新アルバム発売後の全国ツアーを経て、各地のイベント出演後にバンドは一旦解散。
1995年、PONが復帰し約3年半ぶりに活動を再開。1月8日、旧新宿ロフト(西新宿)で再始動ライブ(メンバーはCHARMY、AKIO、PON、WANG-TANG)を行い同時に自主レーベル『Letsrock・AAレコード』も復活させる。同年7月、AKIO(Gu.)がVANILLAのメジャーデビューに伴い脱退、約4年ぶりにBELLEYが復帰加入。
1997年、WANG-TANG(Dr.)が脱退し、KENJIが加入(KENJIは2001年まで在籍し、後任にYOSSYが加入)。
1998年、BELLEYが脱退し、THE RYDERSに加入。トレードの形となり、THE RYDERSで活動していたKASUGAが加入。
2004年10月30日 17年ぶりに日比谷野外音楽堂でライブを行う。1987年事故当時のメンバー(NAOKI、MARU)もゲストとして参加した。
2006年、YOSSYが脱退。1980年代にTHE WILLARDのドラマーとしても活躍していたKYOYAがサポートメンバーで参加し、その後正式に加入。
2007年9月24日 日比谷野外音楽堂のライブ『ラフィン祭り』ではメジャー時代に在籍したメンバー(NAOKI、MARU、BELLEY、WANG-TANG)がゲストとして参加。第2部では約17年ぶりに、SIXTEEN期メンバー(CHARMY、BELLEY、WANG-TANG、MARU)が揃い演奏。この日のラストナンバー「GET THE GLORY」は当時のメンバー(CHARMY、KASUGA、PON、KYOYA)がゲスト4人と共に演奏、「ラフィン・オールスターズ」とファンが一体となり大変な盛り上がりとなった。
2008年4月、KASUGAが脱退。翌5月、THE RYDERS脱退後フリーで活動していたBELLEYが約10年ぶりに復帰加入。現在のメンバー構成となる。
2011年8月、最新アルバム「明日を狙え」発売。
白夜書房より単行本「ワチュロウパーティー」発売。
2011年4月、同3月11日に発生した東日本大震災に際し、2007年9月24日の日比谷野音でのライブを撮影した映像をチャリティーDVDとして発売し、5月に義援金として経費含む全額を寄付。
2011年12月2日、WOWOWプライム ノンフィクションWにて、結成30周年を迎え初の公式ドキュメンタリーフィルム「ラフィンノーズという生き方」がO.A(後日数回にわたり再放送)。
2012年9月24日、白夜書房より写真集「AsuWoNerae」発売。
