08.03 (Sat)
SHOW-YA(ショーヤ)は、日本の女性5人組ガールズロックバンド。1980年代からのバンドブーム、特に女性だけのバンドとしては先駆け的な存在であり、それを牽引してきたバンドの一つである。来歴ボーカル寺田とキーボード中村の所属していたバンド『メデューサ』が前身。のちにバンド名を『SHOW-YA』に変更する。1982年、全国規模で開催された音楽コンテストで最優秀グランプリに輝くものの、6人のメンバーの内、寺田と中村を除く4人が音楽以外の道に進むために脱退する。その後、メンバー募集によって、角田、仙波、五十嵐が順に加入する。1985年、『素敵にダンシング (Coke Is It)』でメジャーデビューを果たす。しかし、当時は女性だけのロックバンドは珍しくて一般になじみが薄く、ミニスカートを履かせられたり髪を刈り上げられたりと、アイドルバンド路線で売り出されることになった。1980年代後半、ハードロック路線に戻って自分たちの音楽を追求していたものの、セールスは伸び悩んでいた。それまで主に作詞を担当していた寺田はそれが自分のせいだと思い、7枚目のアルバム『Outerlimits』制作時、音楽家の安藤芳彦に作詞を依頼する。その際、寺田は自分の日記を安藤に渡し、それを基に詞を書いて欲しいと頼んだ。また、このアルバムから笹路正徳がプロデューサーとして参加する。その結果、アルバムは約60万枚のセールスを記録する。シングル『限界LOVERS』や『私は嵐』のヒットも相まって、SHOW-YAのライブ本数やテレビ出演回数は激増する。さらに1987年から企画・主催を始めた女性アーティストのみを集めた野外イベント「NAONのYAON」では、ガールズバンドの認知度を上げることに貢献する。1991年、ボーカル寺田がバンドを脱退する。多忙を極めたスケジュールにより引き起こされた喉を潰すなどの体調不良と精神的ストレスが原因であった。残されたメンバーは新しいボーカルにステファニー・ボージャスを迎えて活動を続けるが、1993年頃から活動が凍結状態になり、1997年にボーカルがYoshinoに代わったものの、1998年に解散。2005年、91年に脱退した寺田がバラバラになったメンバーたちのもとを訪れて一人一人に頭を下げ、再結成を果たす。以降は数々のライブ活動、寺田恵子はNHK-FMの
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