08.17 (Sat)
DCPRGは、1999年、菊地成孔によってDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN(デート・コース・ペンタゴン・ロイヤル・ガーデン)名義で結成されたビッグバンド。概要結成当時から11人のバンド(CDJ、サックス2人、ギター2人、ドラムス2人、キーボード2人(菊地はCDJとの兼任)、ベース、タブラ、パーカッション)という大型の編成だったが、ギターの大友良英が抜け、第二期に入ると、今度は14人編成(CDJ、ギター2人、ドラム2人、サックス2人、ベース、キーボード2人(菊地はCDJとの兼任)、トランペット、トロンボーン、チューバ、タブラ、パーカッション)と更に大きくなる。2010年からの活動再開後は11人に戻るが、CDJ、サックス2人、トランペット、ギター、ドラムス2人、キーボード3人(菊地はCDJとの兼任)、ベース、パーカッションと、結成当時とは楽器の編成がやや異なっている。バンドリーダーの菊地は自身の得意とするサックスは吹かず、おもにバンドコンダクターとキーボード、CDJを担当。客に背を向けてメンバーを指揮する。音楽的には、菊地の私淑するエレクトリック・マイルスをコンセプトの軸としながら、CDJを活用することでヒップ・ホップ的な要素も取り込んでいる。フェスティバルやイベントでの客演も多く、日本国内でも有数の大型ダンスバンドとなっている。当初2002年に解散をすると宣言をしていたが、その後も活動を続けた。ちなみに、スタジオアルバムや楽曲のタイトルは実在の書籍や映画に由来するものが多い。* 「アイアンマウンテン報告」著:レナード・C・リュイン 1967年* 「構造と力」著:浅田彰 1983年* 「アメリカ」著:フランツ・カフカ 1927年* 「キャッチ=22」著:ジョーゼフ・ヘラー1961年* 「ジャングルクルーズにうってつけの日」著:生井英考1987年また、菊地がリスペクトするマイルス・デイビスだけでなくジミ・ヘンドリックスやデヴィッド・ボウイらの往年の名曲もカバーしている。2007年4月25日、O-EASTでのライブ中に活動終了を発表。理由としては「アメリカを表現したため、ファンクバンドとしての役目を終えた。あらかじめ活動終了をアナウンスすると、最近会場に足を運んでいなかった観客が押し寄せるだろうから、あえ
ウィキペディアで続きを読む... More Biography
ウィキペディアで続きを読む... More Biography