02.11 (Tue)
加橋 かつみ(かはし かつみ、1948年2月4日 - )は、日本のミュージシャン、音楽プロデューサーであり、ザ・タイガースの元メンバー。本名、高橋 克己(たかはし かつみ)。ザ・タイガース在籍時の愛称はトッポ。大阪府堺市生まれで京都府育ち。来歴・人物デビューまで小学・中学時代は、教会の聖歌隊に入り、大阪工業大学高等学校(現:常翔学園高等学校)に進学。その後、京都府立山城高等学校に転校。1965年、バンド仲間達と「サリーとプレイボーイズ」を結成。 翌年「サンダース」のボーカリスト沢田研二を迎え「ファニーズ」と改名、大阪のジャズ喫茶「ナンバ一番」の専属バンドとなる。1966年11月、渡辺プロダクションのオーディションに合格し、上京。ザ・タイガース時代ザ・タイガースのリードギター、ボーカル担当。澄んだ伸びのある高音の歌声が評価され、シングル「花の首飾り」、「廃虚の鳩」やアルバムでリードボーカルを務めた。またグラフィックデザイナーを志していたこともあり、グループの衣装をデザインするなど、バンドとして欠くことが出来ない存在だった。1982年のタイガース同窓会でのヒット曲「色つきの女でいてくれよ」でもリードボーカルを務めている。ビートルズを原点とした、音楽志向とアイドル性を併せ持ち、GSの象徴的存在といわれた。リードボーカルを担当した「花の首飾り」がオリコンチャートの頂点にあった頃より、自身がアイドルという存在であることに疑問を感じ、音楽を通じて世界へメッセージを発信したいという思いが強くなる。アルバム『ヒューマン・ルネッサンス』製作を条件に一度はグループ残留を決めるが、アルバム完成と共に再び疑問を感じるようになる。繊細で芸術家肌、その感受性の強さゆえに誤解を受けやすい言動もあり、「ザ・タイガースのブライアン・ジョーンズ」と評するマスコミもあった。特に当時、時計の針の如く仕事に対し忠実な姿勢であった沢田研二とは、相入れないことが多く、度重なる意見の相違が不仲との報道へ繋がっていった。当時、各プロダクションがGSを粗製濫造。音楽的にもビジュアル的にもGSのレベルは低下。更に渡辺プロによる「アイドル戦略」の中に於いて、高い音楽志向を持ち、感受性の強い加橋かつみは、GSのあり方やプロダクションの対応に限界を感じ、グループ脱退を考えるようになる。
続きはウィキペディアで。... More Biography
続きはウィキペディアで。... More Biography