16歳の時に英語を学ぶべく単身渡米。
LAの地元ラジオ局(92.3 THE BEAT)の日系アメリカ人DJに憧れ、ラジオ/HIp Hop/DJの道を志す。
一旦日本に帰国中、本格的にターンテーブルを触りはじめる。その後、ラジオDJになるべく、再びニューヨークへ単身渡米。
NYのビジネススクールを卒業後地元のラジオ局でインターンをし、インターネットラジオなどのボイスオーバーをつとめる。
再度LAに戻りラジオプロダクション学部の大学を卒業後、憧れの日系アメリカ人がDJとして働いていたLAのR&Bラジオ局Hot92でプロモーションアシスタント/プロダクションアシスタントとして働きながら、イベントでDJの経験をつむ。
2005年にJazzy Sportの BudamunkがプロデュースをつとめるKeentokersのDJを担当するDJ Duelに出会い、DJ Duelも所属する「Spin Cycle Los Angeles」の唯一の日本人/女性メンバーとなる。LAのアンダーグラウンドシーンで最も人気のあるイベントの1つ、Culture Clashで2年間、唯一のフィーメルDJとしてレジデントをつとめ、インターネットラジオでも司会/DJをつとめる。
LAの様々なクラブ、アップルストア、ファッションショー、R&B/ゴスペルグループTake 6のミュージックビデオなどでもDJプレイをし、2年間Skratchpad LAでレジデントをつとめた後、2013年には、地元LAのスクラッチグループのHandroidz(DJ IQ/DJ Konfusion)と自身のスクラッチイベント 'Skratch Funktion'をたちあげる。
2012年から2014年には日本人フィーメルDJとしては初めてThe NAMM Show(アメリカ最大規模の楽器ショー)で3年連続DJプレイする。
2014年にはDMCが初めて行ったスクラッチのみのバトル(アメリカのみ)に参加し、LA代表として9位にランクインする。...
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