10.25 (Fri)
松山 千春(まつやま ちはる、1955年12月16日 - )は、日本の男性フォークシンガー。北海道足寄郡足寄町出身。身長170cm。体重55kg。血液型はO型。いて座。略歴北海道足寄郡足寄町出身。北海道足寄高等学校卒業後、1975年に「全国フォーク音楽祭」の北海道大会に出場するも落選。しかしSTVラジオの竹田健二(省略)ディレクターに見出され、1976年に同局の「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』でメディアデビュー。続いて翌1977年1月25日、「旅立ち」でレコードデビューを果たすが、同年8月27日、二人三脚で歩んできた竹田が急性心不全のため36歳で急逝し、一時失意に陥る。しかしこれが契機となり、同年10月には個人事務所として「オフィス・パンタ」(現在のオフィス・ゲンキ)が設立され(正式な法人設立は1978年1月17日)、千春をバックアップすることになる。1977年10月には『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティに起用され全国区の人気に。(これに伴い『サンデージャンボスペシャル』からは降板した)。1978年4月には月曜1部に昇格し全国区の知名度を更に得るようになる。同年に発売したシングル『季節の中で』が大ヒットしたことで一気にスターダムを駆け上り、以後も多数のヒット曲を出し、ニューミュージック界で確固たる地位を築くに至った。主なヒット曲に「季節の中で」「大空と大地の中で」「恋」「人生の空から」「長い夜」「君を忘れない」などがある。1982年7月24日には札幌・真駒内屋外競技場にて5万人コンサート「大いなる愛よ夢よ’82」を開催。1984年には『オレたちひょうきん族』内の『タケチャンマン』に使用された「ビックリ箱のうた」の作詞作曲を手がけた。1985年12月に結婚し、一児(長女)をもうける。デビュー以来精力的にコンサート活動を続け、2007年には、コンサート公演回数が2000回に達した。コンサート動員数は相変わらず好調で、映画、ラジオ、ドラマ出演、雑誌「月刊松山SAGA」「月刊松山捨石」の発行、論評など、歌手以外の方面へ活動範囲を広げている。長らく自由民主党北海道連青年部名誉会長を務め、鈴木宗男や明石康らの支援を行なってきたが、鈴木の離党に伴い自らも離党し名誉会長職を辞任。鈴木と共
ウィキペディアで続きを読む... More Biography
ウィキペディアで続きを読む... More Biography