08.03 (Sat)
由紀 さおり(ゆき さおり、本名・旧芸名:安田 章子(やすだ あきこ)、1948年11月13日 - )は、群馬県桐生市出身の歌手、タレント、女優、ナレーター。田辺エージェンシー・安田音楽事務所所属。血液型はA型。洗足学園第一高等学校卒業、洗足学園短期大学英文科卒業。。姉は歌手の安田祥子。姉とシンガー・ソング・コメディアンを自称(正しくはシンギング・コメディエンヌ)。経歴安田章子としてデビュー群馬県桐生市に生まれ、3歳時に横浜市へ移る。少女時代から姉の安田祥子と共に、本名の「安田章子」名義で童謡歌手として活躍。1965年にキングレコードから「ヒッチハイク娘」(安田章子名義)で歌手デビューを果たすも、ヒットに恵まれず停滞の時代に入り、童謡歌手時代から行っていたCM曲やテレビ・ラジオ主題歌の吹き込みや、「大人の世界を歌えるように」という修行の意味合いもあったキャバレー・ナイトクラブへの出演を行いながら雌伏のときを過ごす。由紀さおりとして再出発1969年、再デビュー作となった「夜明けのスキャット」(TBSラジオの深夜ラジオ番組「夜のバラード」のOPとして制作。当初はソフト化の予定はなかったものの、リスナーからの問い合わせが相次いだためシングルリリースが企画されたが、歌手デビューに失敗した過去に対する懸念と、自ら結婚を控えていた事情もあって再デビューに消極的だった由紀に対し、新たに歌詞が書き下ろされる間にいずみたくらが説得してレコーディングが実現した)が当時の最終的には150万枚のミリオンセラーとなる大ヒットとなり、この年の暮れには念願だったNHK紅白歌合戦(第20回)にも初出場を果たす(以降1978年・第29回まで10年連続出場)。その後も「手紙」「生きがい」「故郷」「ルーム・ライト」「挽歌」「ふらりふられて」「トーキョー・バビロン」などの歌謡曲を世に送り出し、その確かな歌声は「酔い覚ましの清涼剤」との評価を受ける。1973年には「恋文」で第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した。新境地開拓実力派歌手として人気を集める一方、そのタレント性を見込まれてバラエティー番組からも引く手あまたとなる。『8時だョ!全員集合』で競演したいかりや長介からの薫陶を受けコメディエンヌとしての才能も開花、『全員集合』や『ドリフ大爆笑』においては最多ゲスト(「大爆笑」は一
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