08.03 (Sat)
和央 ようか(わお ようか、1968年2月15日 - )は宝塚歌劇団の元宙組トップスターで現在は女優。本名:大川 貴子(おおかわ たかこ)現在はWAO enterprise所属。大阪市天王寺区出身。身長174cm。愛称はたかちゃん、たかこ。血液型O型。
来歴:1988年、宝塚音楽学校を卒業し、74期生として宝塚歌劇団入団。入団時の成績は7番。『キス・ミー・ケイト』で初舞台。同年5月10日、雪組に配属。その後、『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル編-』の新人公演では研2(入団2年目)でオスカル役に大抜擢される。1993年『天国と地獄』で新人公演初主演。1995年、バウホール公演『大上海』で初主演を務めた。新進男役スターとして成長し、1997年、トップスター轟悠に次ぐ雪組2番手スターに昇格。1998年、宙組の創設メンバーに選ばれ、宙組に異動。雪組時代より引き続き2番手スターで活躍。2000年6月、先代のトップスター姿月あさとの退団により、宙組トップスターに就任。お披露目公演は全国ツアー『うたかたの恋/GLORIOUS!!』。宝塚大劇場お披露目公演は同年8月の『望郷は海を越えて/ミレニアム・チャレンジャー!』。相手役には先代に引き続き花總まり。2002年、『鳳凰伝~カラフとトゥーランドット~』で日本演劇協会賞を受賞。同時上演のショー『ザ・ショーストッパー』ではダンサーとしても活躍した。2004年、第29回菊田一夫演劇賞で『BOXMAN』の演技に対し相手役の花總とともに演劇賞を受賞。花總とはゴールデンコンビと呼ばれた。同年、オペラ座の怪人を舞台化した『ファントム』では、仮面の主人公を演じ、自身の当たり役となった。2005年10月に退団を発表。約6年の主演在任は近年では異例の長期であった。同年12月21日、シアター・ドラマシティ公演『W-WING』の上演中にフライングの装置が外れ、2メートルの高さから転落。骨盤、ろっ骨骨折の重傷を負う(歌劇団発表は全治1ヵ月であったが、実際は全治に3ヵ月以上はかかる大怪我だった)。退団公演『NEVER SAY GOODBYE-ある愛の軌跡-』は入院中でありながら稽古に通い、舞台に立ち続けた。和央の回復状態への配慮から、退団公演ながら和央のダンスシーンはほとんど無かった。
続きはウィキペディアで。... More Biography
来歴:1988年、宝塚音楽学校を卒業し、74期生として宝塚歌劇団入団。入団時の成績は7番。『キス・ミー・ケイト』で初舞台。同年5月10日、雪組に配属。その後、『ベルサイユのばら-アンドレとオスカル編-』の新人公演では研2(入団2年目)でオスカル役に大抜擢される。1993年『天国と地獄』で新人公演初主演。1995年、バウホール公演『大上海』で初主演を務めた。新進男役スターとして成長し、1997年、トップスター轟悠に次ぐ雪組2番手スターに昇格。1998年、宙組の創設メンバーに選ばれ、宙組に異動。雪組時代より引き続き2番手スターで活躍。2000年6月、先代のトップスター姿月あさとの退団により、宙組トップスターに就任。お披露目公演は全国ツアー『うたかたの恋/GLORIOUS!!』。宝塚大劇場お披露目公演は同年8月の『望郷は海を越えて/ミレニアム・チャレンジャー!』。相手役には先代に引き続き花總まり。2002年、『鳳凰伝~カラフとトゥーランドット~』で日本演劇協会賞を受賞。同時上演のショー『ザ・ショーストッパー』ではダンサーとしても活躍した。2004年、第29回菊田一夫演劇賞で『BOXMAN』の演技に対し相手役の花總とともに演劇賞を受賞。花總とはゴールデンコンビと呼ばれた。同年、オペラ座の怪人を舞台化した『ファントム』では、仮面の主人公を演じ、自身の当たり役となった。2005年10月に退団を発表。約6年の主演在任は近年では異例の長期であった。同年12月21日、シアター・ドラマシティ公演『W-WING』の上演中にフライングの装置が外れ、2メートルの高さから転落。骨盤、ろっ骨骨折の重傷を負う(歌劇団発表は全治1ヵ月であったが、実際は全治に3ヵ月以上はかかる大怪我だった)。退団公演『NEVER SAY GOODBYE-ある愛の軌跡-』は入院中でありながら稽古に通い、舞台に立ち続けた。和央の回復状態への配慮から、退団公演ながら和央のダンスシーンはほとんど無かった。
続きはウィキペディアで。... More Biography