12.29 (Sun)
三宅 弘城(みやけ ひろき 1968年1月14日 - )は、神奈川県横須賀市出身の日本の俳優。血液型はO型。また、石鹸名義でバンド「グループ魂」のドラムを担当。劇団ナイロン100℃(以降「ナイロン」)に所属、所属事務所は大人計画。165cm。略歴*1988年に劇団健康(以降「健康」)のオーディションに合格*『カラフルメリィでオハヨ〜いつもの軽い致命傷の朝〜』初演より参加*ナイロン旗揚げメンバー健康参加以前*高校の頃に体操競技部に入部。大学(器械体操の名門日本体育大学)への一般推薦入試も決まっていたが、それを蹴って東京国際大学に進学。因みに日体大指定校推薦枠ではないので合格したかどうかはわからないが、このとき、日体大には体操ではなく水泳の飛び込みで推薦が決まっていたため辞退した。日体大水泳部(飛び込みブロック)はインカレでも伝統校(強豪校)で厳しい練習等を想像すると競技を続けていく自信がなかったので辞退した(『七人の恋人』の「ほとんど三宅マン」よりでのコメント)。*中学の頃から、KERA(のちの健康・ナイロンの主宰)が参加する有頂天を好んで聴いており、バンド活動でもドラムを叩いていた。大学で大槻ケンヂ(当時筋肉少年少女隊・空手バカボンなどに参加)や若王子耳夫(初期の電気グルーヴに在籍)と知り合う。健康時代*劇団健康の第5回公演『ホワイトソング』再演に衝撃を受け、アンケートに「みのすけは凄い」と書き残した(『ハルディン・ホテル』パンフレットなど、様々な場所で目にすることができる)。*劇団健康のオーディション合格理由は、体操を生かしたバック転。1996年にプロボクサーのテストにも合格。現在のナイロンメンバーの中でも体のキレが抜群。*それらの経歴を生かして、ナイロンの公演規模が大きくなった現在でも、激しい殺陣があると彼が担当する。自分が出ないナイロンの公演や他劇団のアクションも多数つけている。*健康時代は4年間、ずっと若手扱いであった。主要キャストになったのは、ナイロン参加後の『予定外』。チラシに名前が載ったのも遅く、第9回公演の『牛の人』が初クレジットであった(この間にも第7回公演『後ろ姿の素敵な僕達』や第8回公演『スマナイ。』に出演しているが、チラシには記載なし)。ナイロン参加以後*芝居のなかにおいて、ボケ役、ツッコミ役、芝居を進行さ
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