大友 良英(おおとも よしひで、1959年8月1日 - )は、日本のギタリスト、ターンテーブル奏者、作曲家、映画音楽家、プロデューサー。神奈川県横浜市出身。略歴・人物十代を福島市で過ごす。若いうちからジャズ喫茶に入り浸り、阿部薫、高柳昌行などのフリー・ジャズに衝撃を受ける。福島県立福島高等学校卒業後、一浪して上京、明治大学文学部二部文学部文芸学科に入学。ジャズ研に入り、江波戸昭の民族音楽ゼミの授業に出入りするが、結局4年在籍した後に大学を中退する。高校時代はジャズ喫茶とジャズ研の部室にかよいつめるあまり授業にはほとんど出ず、大学でもジャズ研の部室と民族音楽のゼミ以外はほとんど行かなかったと回想している。大学在学中から高柳昌行のもとで生徒兼付き人として数年間下積みを続けるも、1986年末に高柳との関係がこじれギターにも挫折したため師のもとを飛び出す。大友は後にこの事件を「若気の至り」「ギターがなかなか上手くならない焦りもあった」と回想している。「高柳のもとに居たことを理由に社会に出たと思われたくなかった」ことから、2000年頃までは高柳に師事していたことを秘匿していた。1980年代後半より、新宿ピットインをはじめ数々のライブハウスに通うかたわら、自身も即興演奏を行うようになる。1990年代に入り、初のリーダーアルバムを香港のレーベルから発表。自身のバンドGROUND-ZEROを立ち上げ、アメリカやイギリス、日本から次々にアルバムを発表する。同時期、香港や中国映画の音楽も手がけるようになり、どこにも所属せずに、様々なジャンルや国境を超える独特の活動スタンスが内外で注目を集めた。GROUND-ZEROは1998年に解散。その後もノイズミュージックやフリー・ジャズの分野で作品を発表する一方、様々なバンドでギターやターンテーブルを担当、また国内でも映画音楽、テレビドラマの劇伴などの作曲も数多く手がけるようになり、サウンドトラックの作曲家としても知られるようになる。多作なことでも知られ、これまで参加したアルバムは300作を超え、また数多くのバンドやプロジェクトにも参加してきている。1990年代から2000年代前半にかけては欧米やアジア圏と海外での演奏活動が中心だったが、近年は映画やテレビの音楽の作曲や、音楽展示作品の制作、プロデュース等に比重がうつ
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