02.11 (Tue)
レイザーラモンは、日本のお笑いコンビ。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。メンバー* HG/住谷正樹 (エイチジー/すみたに まさき、1975年12月18日 - ):元々はボケを担当し、ハードゲイキャラ、レイザーラモンHGの存在自体がボケと言えるが、THE MANZAI等に出演以降はツッコミを担当する。漫才ではハードゲイキャラは一切出さないが、ツッコミの際におなじみの「セイ!」を取り入れる事もある。* RG/出渕誠 (アールジー/いずぶち まこと、1974年6月8日 - ):元々はツッコミを担当していたが、レイザーラモンHGのブレイクを期に類似キャラ「レイザーラモンRG」となり、ダブルボケの様な状態となる。以降、「シルバーウルフ」等のピン芸のネタを増やし、THE MANZAI等に出演以降はボケを担当する。来歴大学時代は、共にプロレス同好会に所属。住谷は同志社大学で、リングネームは「ギブアップ住谷」。一方、出渕は立命館大学でプロレスラー新崎人生をもじった「チン先真性」の名で活動していた。両大学のプロレス同好会は定期戦などで交流があり、しばしば顔を合わせていた。共に学内チャンピオンを獲得した経験を持つ2人は意気投合し、1997年10月にお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。コンビ名は、スコット・ホールがWWF時代に名乗っていたリングネーム「レイザー・ラモン」に由来する。卒業記念でエントリーした「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞。その後2丁目劇場のオーディションライブ「SABIKI」などに出演し、腕を磨いた。大学卒業後はそれぞれ就職し、住谷は生活協同組合コープこうべ、出渕はカーディーラーで働いていたが、お笑いの道を諦め切れず、程なく脱サラして吉本興業入り。* 1999年** バッファロー吾郎プロデュースの「爆笑新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」に初出演し、本格的にプロとして活動を始めた。吉本の同世代では珍しいNSC非出身者。大阪NSC17期生と同期になる。** 10月、毎日放送「クヮンガクッ」で、初のテレビ番組のレギュラーとなる。しかし翌3月、「悲しみの豆板醤事件」が仇となり降板した。* 2000年** 「ABCお笑い新人グランプリ」では審査員特別賞を受賞。** フジテレビ「新しい波8」に3度出演。しかし
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