09.20 (Fri)
倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ、1941年〈昭和16年〉6月29日 - )は、日本の女優、歌手、声優。愛称は「チコちゃん」。実妹は女優の倍賞美津子。弟は猪木事務所社長の倍賞鉄夫、日産自動車硬式野球部元監督の倍賞明。夫は作曲家の小六禮次郎。来歴・人物生い立ち西巣鴨生まれ。東京都北区滝野川に育つ。戦時中は茨城県に疎開。北区立滝野川第六小学校、北区立紅葉中学校(現:北区立滝野川紅葉中学校)卒業。父は都電の運転士、母は車掌であった。倍賞家珍しい倍賞姓は秋田県鹿角郡(現鹿角市)十和田大湯にルーツを持つ。先祖は佐竹藩に仕えた守衛で、先祖の一人に頭の良い人がいて書記に抜擢され、何かの賞を受けたのがこの姓の由来という。千恵子の父・美悦は当地の出身で、中学のとき東京に出て、数え年15のとき少年車掌の試験を受け合格した。母・青木はなは茨城県真壁郡大和村(現桜川市)出身。母も小学校卒業後、東京で女子車掌となり美悦と知り合い結婚した。SKD入団幼少時は「のど自慢」荒らしとして知られ、みすず児童合唱団を経て、1957年、松竹音楽舞踊学校に入学。1960年、同校を首席で卒業し、松竹歌劇団(SKD)13期生として入団する。同期に榊ひろみ(松竹女優)、加藤みどり(声優)らがいる。学校時代の実習出演を経て、同年、グランドレビュー「東京踊り」で初舞台を踏む。この年から、主席入団生にフィナーレの先頭を切って大階段を降りる栄誉が与えられ、バトンガールに扮した倍賞がその初代を勤めた。映画・歌手デビュー1961年、松竹映画にスカウトされ松竹歌劇団を退団し、『斑女』(中村登監督)で映画デビュー。1963年、山田洋次監督の映画『下町の太陽』に主演して以降、山田作品に欠かせない庶民派女優となる。『下町の太陽』は映画・歌だけでなく、現在もそのフレーズ自体が倍賞の代名詞になっている。1963年に『下町の太陽』で歌手としてもデビューし、第4回日本レコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも4年連続出場した(詳細は下記参照)。他のヒット曲に「さよならはダンスの後に」「おはなはん」「忘れな草をあなたに」(菅原洋一らとの競作)などがある。山田作品の常連に映画『男はつらいよ』シリーズでは渥美清演じる主人公車寅次郎の妹・さくら役を演じ、人気を不動のものにした。『男はつらいよ』で共演した吉
ウィキペディアで続きを読む... More Biography
ウィキペディアで続きを読む... More Biography