08.03 (Sat)
クミコ(1954年9月26日 - )は、日本の歌手。茨城県水戸市生まれ(母親の里帰り出産による)。以前の芸名は高橋 久美子(たかはし くみこ)、高橋 クミコ。血液型はB型。埼玉県立春日部女子高等学校、早稲田大学教育学部卒業。略歴活動初期演劇を志し、早稲田大学に入学するが、不条理演劇の中で歌うシーンがあり、歌で表現することに目覚めて劇団を退団した。大学卒業前、友人に誘われバンドにピアニストとして参加する。その後、バンドを辞めたその友人の代わりにボーカルを担当する。1978年、24歳の時、第16回ヤマハポピュラーソングコンテストの予選を勝ち抜いて(「関東甲信越大会」では歌詞を忘れてしまったが、何かが評価されて先に進めた)、つま恋本選会に出場する。ボーカルを斉藤久美子(後のクミコ)が務めた「ホンキートンク」の「どしゃぶり ずぶぬれ しどろもどろ」は優秀曲に入選する。同年、日本代表の一人に選ばれ、第9回「世界歌謡祭」にソロ歌手・斉藤久美子として出場したが、予選で落選し、本選に進めなかった。この時のグランプリ曲は円広志の「夢想花」だった。レコード会社から予定されていた収録済みのデビュー盤はボツになり、挫折を味わう。その後長い間、小さなスペースで少数の熱心なファンや永六輔などの支援者に支えられながら歌い続けた。ホール・コンサートがメインの活動となるのは2003年秋以降である。シャンソン歌手としてデビュー1981年から1982年にかけて、埼玉県大宮市にあった後楽園グループ(現東京ドーム)のドイツレストラン「ラインゴールド」大宮店にて特技のピアノとシャンソンを中心とした弾き語りもしていた。1982年6月、27歳の時、日本におけるシャンソニエの老舗だった銀座「銀巴里」のオーディションに合格し、プロデビューする。オリジナル曲で合格したのは前代未聞のことで、合格後、越路吹雪のレパートリー曲などでシャンソンを猛勉強する。1987年、ミュージカル『レ・ミゼラブル』の日本初演にアンサンブルの一員として出演する。同年7月に高橋久美子の名でLPアルバム『POKKOWA PA ?』をリリース。32歳での遅いデビュー盤だった。1980年代後半から「渋谷ジァン・ジァン」に出演し始め、10時劇場『六輔七転八倒九百円十時』へのゲスト出演、10時劇場「高橋久美子の唄う『音楽図
ウィキペディアで続きを読む... More Biography
ウィキペディアで続きを読む... More Biography