初期の頃は当時日本においてエモ/スクリーモ等の音楽を形容する言葉になじみがなかったためか、メロコアバンドの位置づけで認識されていた。後にエモ等のアーティストを多数輩出するDOUGHOUSEより海外版をリリースすることにより、徐々に日本においてもエモの先駆者という扱いを受ける。Hi-STANDARDや、BRAHMAN、BACK DROP BOMBといったバンドを中心に、ヴィジュアル系が席巻していた当時の日本のロックチャートを一気に塗り替えた。 1枚目のアルバム「GRIP」のみをトイズファクトリー内のPIZZA OF DEATH RECORDSよりリリースしているが、後にはINIというレーベルを立ち上げそちらからリリースを行うようになっている。PIZZAは現在の横山健(Hi-STANDARD)が運営しているものと違い、当時まだなじみのなかったPUNKをリリースするためのいわば名前だけの存在だった。『PUT ON FRESH PAINT』から『FOUR COLOR PROBLEM』までの1990年代後半から2000年代には絶大な基盤を確立していった。初期の音楽性は、当時隆盛を極めていたメロコアブームに追随するような、テンポの速い演奏に英語詞のボーカルを乗せるといったものだったが、次第にジミー・イート・ワールドやウィーザーに代表される泣きメロを重視したエモ、パワー・ポップを彷彿させるようなものへと変遷していった。また、それに伴って日本語詞の割合を増やしていき、ラストアルバム「variandante」では全収録曲が日本語詞で書かれた。
2012年幕張メッセで行われる「DEVILOCK NIGHT FINAL」で再結成。ただし平本は不参加で、サポートドラムとしてlocofrankのtatsuyaが参加。その後、いくつかのイベントライヴに参加。
2012年9月、AIR JAM2012にて本格的な再始動を発表。
その際に新メンバーの加入と、工藤がスケジュール上活動が困難なことから離脱することを発表。
2016年2月、4月8日のライブを持って岸野と山崎が脱退することを発表。...
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